2017年10月30日月曜日

(K0182) 社会参加(2) / トライアングル理論(9) <定年後>


  前回からの続き


「社会参加」についての考察を続ける。

(1) 「社会参加」は、「仕事」をもたない場合の「外」への接点となり、自分の内にこもってしまうことを避けられる … 前回書いた
 

(2) 「社会参加」は「仕事」とともに、世界における私の存在理由となり、自己有用感を高める

「私はここにいてよい」「私が存在することに意味がある」という感覚はとても大切であり、それを支える大きな要素が「私は誰かの役に立っている」である。「社会参加」「仕事」は、それを与えてくれる。

専業主婦は「仕事」も「社会参加」をしていなくても、家族の役に立っている。しかし、狭い世界であり、取り換えが効かない。力が有り余ると子育てに力が入りすぎることもあるし、夫や子が十分感謝を表明してくれるとは限らない。そうではあっても、家族に縛られる。「社会参加」は選べるし、「社会参加」の対象を変更することもできる。「社会参加」は、未知の世界に参加するチャンスであり、世の中から自分を認めてもらえるチャンスでもある。

仕事をもたない主婦も「社会参加」し、第二のトライアングルを充実する意義は大きい。
仕事をしていた人は、定年を機に「社会参加」のウエイトを増やすことを勧めたい。
 

(3) 「社会参加」は「仕事」より自由度がある。

   お金から自由になり、内なる自然な欲求をより満たせるチャンスがある

働き盛りの「仕事」は、自分や家族を支えるお金を稼ぐ場であるために、必要な収入額を確保せねばならないし、ましてや失業により無収入になることを避けなければならない。特に日本では、最近だいぶ変わってきたが、転職することが不利になることが多い。正社員の座を一度手放すと、取り戻せないことも多い。いきおい、我慢してでも、「仕事」を続ける。

ラッセル『幸福論』によれば、
===== 引用はじめ  ( P.73 – P.74 )
自分が送りたい理想の人生があったとして、それと仕事がまったく一致していなければ、その人生は不幸なものになってしまいます。 … 逆に理想の人生と仕事が一致している人は幸せだということはよくわかると思います。自分の人生の目的と自分の仕事が一致している、その調和が幸せにつながるのです。
===== 引用おわり

特に、これまでの仕事が理想の人生と一致していないと感じている人にとっては、定年は、理想の人生と一致する「社会参加」に取り組むための、大きなチャンスになる。
 

   競争原理ではなく、協調原理で動ける

仕事には競争原理が働く。民間企業においては、外に向かっては、直接・間接を問わず、ライバル会社と競争する役割を期待される。内においては、競争を制して出世することが、より充実した大きな働きをするのに意味をもつ。

ラッセルの『幸福論』によれば、
===== 引用はじめ  P.24
二つ目の不幸の原因は競争です。皆、競争して勝つことが成功だと思っています。あるいは、競争してお金を手にすることが成功だと考えています。これらはいずれも、ある一点までは幸福をもたらしますが、その一点を超すと、不幸になるのです。なぜなら、成功は幸福の一つの要素でしかないからです。そのために他のすべての要素を犠牲にしてしまっては、決して幸福にはなれません。
===== 引用おわり

「社会参加」は「仕事」と違って、競争原理ではなく、協調原理で動ける。
 

   余力により、調整が容易である

ボランティア(「社会参加」)においても引き受けた時点で責任を負うが、引き受けるかどうかの自由度は大きい。定年後の「社会生活」においては、体力が落ちてくることがありえ、その時は「社会参加」を調整できる。主婦の場合は、子育てや介護などの家庭内負担の増減に応じて「社会参加」を調整できる。

「仕事」よりも調整代が大きい。

 

特に定年は「仕事」を一気に失うものであり、「社会参加」へのスムーズな移行が大切である。「社会参加」は「仕事」の代替物ではなく、より大きなチャンスをもたらすものである。そのチャンスを生かすために、「仕事」にはない「社会参加」の特質を生かすことが大切であり、このことは専業主婦が「社会参加」するときも同じである。

再掲すると、
「社会参加」は「仕事」より自由度がある。
   お金から自由になり、内なる自然な欲求をより満たせるチャンスがある
   競争原理ではなく、協調原理で動ける
   余力により、調整が容易である
 

出典
小川仁志(2017/11)、ラッセル『幸福論』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)

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