2017年9月14日木曜日

(K0137) 死に行く過程を経験するワーク <臨死期>


関本雅子さんの講義の中で、死に行く過程を経験するワークをした。

「物質的に大切な物(家、車、…)」
「自然界で大切な物(水、空気、…)」
「大切な活動(仕事、趣味、…)」
「大切な人(具体的な名前で)」

を4つずつカードに書き、お話を聞きながら封筒に納めていく。一枚残って、最後にそれも封筒に入れる。

 

私が書いたのは、次のようであった。

「物質的に大切な物」として、『食べ物』『住む家』『集めた資料』『写真(過去の思い出)』
「自然界で大切な物」として、『空気』『水』『大地』『海』
「大切な人」としては、家族の名
 

「最近大切な方を亡くされた方は、参加しなくていいですよ」とのこと。

私は心情的に入り込まない(入り込めない)から大丈夫なのだが、人によっては辛いワークだそうだ。
 


お話の組み立てによるのだと思うが、私の場合は、捨てていく順序に法則があるのに気付いた。

(1) 『大地』『海』を封筒に納めた
 「自然界で大切な物」の捉え方がわからず、とりあえず書いたに過ぎない

(2) 『住む家』を封筒に納めた
 自分はこの病院を生きて出ることはないと覚悟したので、必要なくなった

(3) 「大切な活動」を封筒に納めた
 体力も無くなり、実行できなくなったので、手放した

(4) 『集めた資料』『写真(過去の思い出)』を封筒に納めた
 この二つは、これまで私が生きてきた証で、これを捨てたらこれまでの私の過去が無くなってしまうように感じるので、手元に置き続けてきた。しかし、これ以外に手放してよいものが無くなった

(5) 『空気』『水』『食べ物』を封筒に納めた
 なんとしても生き続けるために手元に置き続けてきたが、自分の寿命もこれまでと観念したら必要が無くなった

(6) 「大切な人」の4枚が残った
 「それを失いそうになった時、なんとしてでも止めようとする」という意味で「大切な人」を残した。「大切な人」たちを封筒に入れる時は、「私としては精いっぱい守ってきたが、もはやこれまで。あとは自分の力で生きてくれ」と思っていた。

(7) 最後の一枚は、もちろん、『妻』である
 


物語の(超)あらすじは、「しこり」があると気づき、病院で診てもらったら、後日がんを宣告され、治療につとめだが、体が弱ってきて、まもなく死ぬと思い、死んだ。

その物語の途中で順番にカードを封筒に納めていくので、「大切でないもの」順にはなっていない。死に行く過程で手放していく順になっているのだろう。

 

ところで「最後の一枚は、もちろん、『妻』である」と私は書いたが、当然ではないらしい。

欧米人は、「大切な人」として『私』を挙げ、最後までそれを残す人が多いらしい。
日本人で、「大切な人」として『私』を挙げる人は、少ないらしい。

 

出典
関根雅子、「ホスピス緩和ケアの基礎知識(2)」、ホスピス・ボランティア養成研修(第3回)、2017/09/14

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