2017年6月17日土曜日

(K0048) 「死の不安」(1) / 高齢期の死生観(4) <臨死期>


今回は、
(K0046) 「人の世話になりたくない」(2) / 高齢期の死生観(3) <臨死期>」
の続きである。ただ、話題は変わっている。
 

「高齢期には、死の不安は減る」という説がある。本当か?

半分本当で、半分嘘だと思う。

 
1.   半分は本当

(1)  高齢者にとって、死は身近である
 高齢者の身近な人は、高齢者が多い。両親や兄弟や友人を見送ってきた。だから、死は身近になってくる。いくつもの「三人称の死」(直接知らない人の死。ニュースなどで知る)「二人称の死」(家族や友達など直接知っている人の死)に接してきた経験があり、その悲しみを乗り越えた体験がある。

(2)  高齢者にとって、死は具体的である
 恐怖は対象がはっきりしているが、不安は対象がはっきりしていない。高齢者にとっては、死が具体的になるので、死の不安は減る。死の恐怖とは話が別である。

(3)  死がタブーでない高齢者も多い
 高齢者施設では、大まかには二グループにわかれると聞いたことがある。60代あたりでは、死を怖がる人が多く、死の話はタブーである。しかし、さらに歳を重ねると、「お迎えはまだかな」「昨日もお迎えは来なかった」と日常会話で語り、死の話はタブーでなくなる。ただし、年齢によるのではなく、人による。60代でタブーでない人もいるし、歳をとっても死ぬまでタブーの人もいる。
 

2.   半分は嘘

(1)  高齢者にとって、死は間近である
 若い人にとっては、死はずいぶん先の事であり、今考えたり心配したりすることは少ない。しかし、高齢者にとって死は間近に迫ってくるので、新たな不安の対象として浮上してくる

(2)  見えない、聞こえない
 死の不安の少ない人は、死の不安について語るのに抵抗感は少ない。さらに「私はこのようにして死の不安を乗り越えた」と積極的に語る人もいる。
 一方、死の不安をかかえている人は、語りたがらない。語ると不安がつのってしまうこともある。
 だから、死の不安をかかえている人の姿は、見えにくい。死の不安をかかえている人の言葉は、聞こえにくい

(3)  実証の嘘
 学問、研究では、具体的に数字の示せるもの、具体例を示せるものは取り上げるが、そうでないものは取り上げにくい。
 だから、研究論文では、死の不安をかかえている人が取り上げられることは少なく、あたかもそのような人が少ないように見える。
 死の不安をかかえている人は、アンケートに答えたくないし、答えても本心を出すかどうかはあやしい。本心を書くと、かかえている不安を大きくしてしまうことがある。

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